
目鼻立ちがくっきりとした美人が多い沖縄女性。そんな沖縄出身の女性芸能人は、驚くほどたくさんいます!でも時代をさかのぼると、懐かしいこんな人も沖縄出身芸能人でした。
桑江知子(くわえ・ともこ)
桑江知子さんは、1960生まれの歌手です。現在の沖縄市(旧美里村)の出身ですがその後、福岡県福岡市に移り住んでいます。
1979年に『私のハートはノンストップ』で歌手としてソロデビューし、その後大手化粧品メーカーのCMソングになったことで大ヒットしました。ただソロデビュー前には、「NON STOP」というアイドルグループの一員として活動していた過去があります。
ソロデビューした年の各局歌謡曲新人賞では、あの竹内まりさんや倉田まり子さんらとデッドヒートを繰り広げた超人気歌手となった桑江さん。なんとその年の『第21回日本レコード大賞』では、現在の大物歌手を差し置き見事に最優秀新人賞を獲得!今では「沖縄出身の歌手といえば安室奈美恵」といわれていますが、当時は「沖縄出身の歌手といえば桑江知子でしょ!」が基本でした。
ただ『私のハートは~』以降目立ったヒット曲がなく、どうしても一発屋としての印象が強い桑江さん。ところが実はあの『宇宙戦艦ヤマト』のテーマ曲や挿入歌を歌っていたのが、何を隠そうあの「桑江知子さん」でした。
最近ではすっかり「あの人は今…」的になっていますが、今でも桑江さんは沖縄音楽を中心に活動を続けています。
南沙織(みなみ・さおり)
1954年生まれの南沙織さんは、旧姓・内間沙織です。南さんのお母さんが奄美大島出身なのですが、南さん本人は正真正銘の沖縄県出身沖縄育ちです。両親ともに日本人なのですが、両親が離婚。お母さんの再婚相手がフィリピン人男性だったということで、フィリピン人のハーフと勘違いされることが多かったようです。
南さんといえばデビュー曲『17才』があまりにも有名ですが、この時のジャケット写真で南さんが身に付けていたTシャツのデザインが蟹座のマークだったのはご存知でしょうか?
もともと南さんはカトリック信者で、蟹座の守護神といわれている月の女神「シンシア」が愛称でした。そのこともあってデビュー曲のジャケット用に撮影した時の衣装にも、レコード販売当時に配布されたキャンペーンシールにも「蟹座」のマークがデザインされていました。
1978年に上智大学に入学したのをきっかけに、その年の10月に引退コンサートを開き現役を引退した南さん。引退後は写真家の篠山紀信さんと結婚し、3人の息子さんがいます。歌手として一時活動を再開した時期もありましたが、あくまでも一時的なもので「家庭を優先したい」という意向を貫き今も目立った活動はあまりしていません。
ただちょっとびっくりしたのは、1983年に作詞家として1回だけデビューしている事!ちなみにその時は、森山良子さんが作曲した楽曲に歌詞を提供しています。
早坂よしえ(はやさか・よしえ)
1975年生まれのタレントです。本名は平田芳江でしたが結婚したため、現在は脇田芳江に変わっています。
実は早坂さんの父親は琉球舞踊の家元であり、高校教師をしていた母親との間に生まれました。9歳の頃には沖縄アフターズスクールに在籍をし、地元のテレビ番組などにも出演していました。
14歳の時にアイドルになるために単身上京した早坂さんは、翌年の15歳に「絶対!Part2」でアイドルデビューを果たします。その後も立て続けにシングル・アルバムをリリースし一躍売れっ子のアイドルの仲間入りをします。ちなみに当時は「バクダン小娘」というキャッチフレーズで売り出していたそうです。
2003年に当時大阪プロレスのレスラーとして活躍していたスペル・デルフィンさんと結婚し女の子を出産しますが、その後夫であるスペル・デルフィンさんが「沖縄でプロレスをやりたい」と言い出したのをきっかけに沖縄に戻り、子育てをしながらタレントとして頑張っています。
里中茶美(さとなか・ちゃみ)
1975年生まれの里中茶美さんは、本名が邊土名(へんとな)茶美といいます。本名を聞けばウチナンチュであれば「沖縄出身だね~」とわかる独特の名前が本名の里中さんは、本島中部の沖縄市で歌手・タレント活動をしています。
里中さんも沖縄アフターズスクールの出身者で、きょうだいにはアーティストのISSA(一茶)さんとプロゴルファーの二茶さんがいます。
1989年にポニーキャニオンから「ティーンエイジ・セレナーデ」でメジャーデビューをしましたが、同期デビューのアイドルには、島崎和歌子さんや細川直美さん、田村英里子さんなど今も現役で活躍している芸能人たちがたくさんいます。