
沖縄ではあの世のことを「グソー」といいます。ただ沖縄のあの世の世界は、仏教やほかの宗教の考え方とはちょっと違っています。知ってみると何とも面白い沖縄のあの世の世界とは?
沖縄ではあの世に行ってもご先祖様は仕事をしているらしい
沖縄では先祖崇拝が未だに根強くあります。だから沖縄の人に「宗教は何宗ですか?」と聞くと、きまって「先祖崇拝」と答えます。
つまりご先祖様が神様という考え方があるので、ご先祖様が祀られている仏壇はとても大事な意味を持っています。
ただご先祖様が暮らすあの世の世界も、意外と大変らしいです。沖縄のお葬式に行くと、亡くなった人の棺にご先祖様へのお土産を入れます。
全国的にみると棺に入れる副葬品は亡くなった本人の愛用品などに限るのですが、沖縄では本人の愛用品とは別に先に亡くなったご先祖様へのお土産も持たせます。
ところが持たせるお土産の中身を見ると、白いタオルやハンカチ、茶葉や茶菓子など日用品ばかり…。その理由を聞いてみると意外なことがわかりました。
まず白いタオルやハンカチを持たせるのは、畑仕事をしているご先祖様へのお土産です。
汗をかいて仕事をしているご先祖様に「これ、お使いください!」と言ってお土産を渡すと「ご苦労さん」と言って仲良くしてくれるそうです。
茶葉や茶菓子を持たせるのも同じ意味があります。10時茶(10時のおやつ)や3時茶(3時のおやつ)の時にご先祖様にあったなら、これを差し出すと「とりあえず一緒に座ってゆんたく(おしゃべり)しようか」とその場が和むのです。
つまり沖縄ではあの世もこの世も同じような世界であり、私たちが毎日の生活をしているのと同じように時間を過ごしているといいます。ただあの世に行っても仕事をしなくちゃいけないのですから、「あの世でゆっくり休む」ということは沖縄では難しいのかもしれませんね。
どんなに高齢でもお墓の中では新人扱い
沖縄のお墓は、血縁関係のある一族(門中)が作った門中墓に入ります。
もちろん最近は門中墓ではなく家族だけで入る家族墓も増えていますが、どちらにしてもお墓に入る時には新入りとして他のご先祖様とは別の仕事を任されます。それが「門番」です。
門番になると、お墓の入口の目の前に座らされます。もちろんこれは墓の入口を勝手に開けて中に入ろうとするマジムン(沖縄の魔物)をやっつけるためです。
門番の間は、お盆が来ても仏壇がある家に帰ることが出来ません。その代り喪が明けると門番の役目は終わるため、亡くなってから2年目のお盆は堂々と家の仏壇に帰ることが出来ます。
そのため沖縄では初盆はせず、2年目のお盆を盛大に行うのが風習にあります(一部地域によっては、喪中でも初盆をすることがあります)。
ちなみにお盆や旧正月は門番が一人で留守番をしているため、墓の扉を開けるのはタブーといわれています。
なにしろ誰もいなくなった墓を一人で守らなければいけないですし、どんな年齢でお墓に入ったとしても先にお墓に入っているご先祖様から見れば新入りです。
だから新入りとしての役目はきちんと果たさなければ、これからお墓の中で肩身の狭い思いをすることになります。
そういう意味もあるからなのか、盆や正月などご先祖様がそれぞれの家の仏壇に帰る時期になると門番はいつも以上に神経質になります。
だからこの時期にお墓の扉を開ける(納骨をする)場合には、門番に頭を棒でたたき割られないように金属製の洗面器を頭にかぶるという風習も地域によってはあるそうです。
一見すると「なんて凶暴なことを…」と思うでしょうが、門中墓は一族全員のお墓なので新入りとして門番を任された以上きっちりとお墓を守ることが大事なのです。
だから「頭をたたき割る」という凶暴な行為も、「大事な墓を門番として守らなければならない」という使命感からの行動といえるのでしょう。
もちろん本当に頭をたたき割られた人がいるという話は聞いたことがありません。
とはいえこうした考え方が沖縄には古くから受け継がれているので、盆の期間中に墓の扉を開けるのはよほどの事情がない限り行わない(つまりお葬式はしない)ということなのです。
ニライカナイに行けるまでには時間がかかるらしい
沖縄では海の彼方に「ニライカナイ」という世界があるといいます。
これは神の島と呼ばれる久高島よりもさらに遠い場所にあるといわれています。そのためニライカナイこそがあの世という考え方もあります。
ただニライカナイも含め沖縄のあの世についてはいろいろな解釈があります。
何しろ死んだ後の世界を生きているうちに体験することはできません。だからいろいろな話が沖縄のあの世に関してもあります。
ただニライカナイという場所は、先祖神に生まれ変わる場所といわれています。それまでは仏壇のご先祖様たちは「家の神様」として子孫を守る役割を果たすのですが、長い時間をかけてご先祖様の中でも地位が高くなると海を渡りニライカナイへ行きます。
ニライカナイは神様の世界なので、ここにたどり着くと「先祖神」となります。
先祖神となると再びニライカナイから海を渡って生まれた場所に戻ってきます。こうして土地の神様となると、家の神様というだけでなく一族・土地の神様になります。
仏様の世界も修行が必要だといわれていますが、沖縄のご先祖様たちもある程度時間をかけてあの世での経験を積まないと先祖神にはなれないようです。
ただし仏教のように修行をしないといけないというわけではありません。
時間に関する考え方も人間世界の時間軸とは違うので、とてものんびりとした「ウチナータイム」で過ごします。
それに仕事をするにしても忙しい現代人のように時間に追われるようなものではなく、太陽と共に寝起きをする心穏やかな日々なのだといいます。
沖縄のあの世は仏教のあの世よりもわかりやすい
仏教のあの世というと宗派によってもいろいろと考え方が違うので、本当はどんなところなのだろうという不思議に思うことがあります。
ただ沖縄のあの世は、この世と変わらないといわれています。だからこそあの世の考え方がとても分かりやすいのです。
あの世の仕組みがこの世とほとんど変わらないからこそ、ご先祖様は特別な存在ではなく身近な存在として考えます。
供養をするにしても毎日の生活の中にご先祖様はいるので、「わざわざ何かをする」という考え方がありません。
こういう考え方が根強く残る沖縄だからこそ、今でも「神様と共に暮らす島」といわれるのかもしれませんね。